結婚して子供が生まれてから、妻を一人の女性として見られなくなっていた
それは慣れなのか、環境なのか。
気づけば彼女を「女性」ではなく、「母親」として見ている自分がいた
それなのに、他人の視線を想像した瞬間は嫉妬を感じる自分がいた
※この記事は実際の感情や体験談を参考に執筆しています。
気づけば、妻を女性として見なくなっていた
結婚して6年
子どもが保育園に入って3年くらいなるだろうか
気づけば年少という年である
会話はいつも子どもの事ばかり
今日は保育園でどうだったか、今日は何ができるようになった、どんな遊びをしていたか、どんな食べ物が気に入っていてよく食べるのか
子どものことが中心の会話だったが、会話が少なくなることはなかった
しかし、毎日の仕事に加え、食事や風呂、寝かしつけ
わたしも妻も疲れ切っていた
どちらかが寝かしつけで子どもと一緒に寝てしまうことも定番になっていた
それでも子どもが毎日健やかに育つのがうれしかった
妻も子どもも毎日笑顔で過ごす
そんな毎日が幸せだと思っていた
少なくとも、
あの頃の自分はそう思っていた。
それでも、他人の視線には嫉妬してしまった
子ども中心の生活をしていくうえで、夫婦生活は次第になくなっていた
最後に体を重ねたのはいつだろう
そう考えることもなくなっていた
でもそれでいいと思っていた
子どもと仲良くじゃれている妻を見ると、子どもから妻を奪ってしまうような
そんな気がしてしまっていた
いつしかそんな感情にも慣れ、気づけば妻を女性ではなく、家族として見るようになっていた
ある日、仕事帰りに寄ったスーパーで、
妻が店員と笑いながら話していた。
ただそれだけだった。
でも、なぜか胸の奥がざわついた。
自分はもう、妻を“女性”として見ていないと思っていた。
それなのに、他人の視線を想像した瞬間だけ、
嫉妬している自分がいた。
帰宅したあとも、その感情だけが頭から離れなかった。
なぜ、終わったはずの感情が戻ってきたのか
妻を女性として見なくなったのは、嫌いになったからではない。
たぶん、安心していたのだと思う。
妻はいつも家にいて、
子どもの隣で笑っていて、
当たり前のように毎日が続いていく。
だから、「失う」なんて考えたこともなかった。
でも、他人の視線を想像した瞬間だけ、
その当たり前が少し揺らいだ。
自分はもう、妻を“家族”としてしか見ていないと思っていた。
それなのに、誰かに女性として見られるかもしれないと思った瞬間、胸の奥がざわつく。
嫉妬だったのかもしれない。
それとも、自分が見なくなっていただけで、
本当はまだ、妻を一人の女性として見ていたかったのかもしれない。








